群れると、本当の出会いが訪れない
「進撃の巨人」で、主人公のエレンが、
ヒロインのミカサを助ける場面があります。
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ミカサの家族が、強盗に襲われます。
ミカサは、目の前で家族が襲われているのに、
ひとりではまったく抵抗できません。
そこに、幼なじみのエレンがやってきます。
ミカサは間一髪でエレンから助けられます。
命拾いをしたミカサ。
でも、強盗は両親の命を奪った後です。
ミカサはひとりぼっちになります。
最も近かった人を失います。
行き場所を失います。
完全にひとりぼっちになりました。
心の拠り所がなくなって呆然とします。
そこに、主人公のエレンがミカサに近づきます。
マフラーを巻いてあげます。
そしてひと言。
「いくぞ」(一緒に)
完全にひとりぼっちになったミカサに、
エレンが手を差し伸べる場面です。
その出会い以降ミカサは、
どんなことがあっても、エレンを守るために生きていきます。
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◆本当の出会いは、ひとりぼっちのときに表れる
ぼくは、このエレンとミカサの出会いは、本物の人間関係だと思っています。
本当に大切な人との出会いは、
ひとりぼっちのときに訪れます。
孤独の底にいったときに初めて、大切な人が誰なのかが見えるからです。
この人と出会わなかったら、
自分は一生、ひとりぼっちだったかもしれない。
そう思える人は、一生のうちで数人です。
究極、たったひとりです。
でも、本当の出会いがたったひとりでも、
その人がいれば生きていけます。
ひとりにならないと、出会いの意味に気付けません。
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◆余計なことをしないでいい
寂しいからといって、
いつも人といなければいけないとか。
自分は寂しい人ではないことを確認するために、
スケジュール帳を予定で埋め尽くすとか。
周りの人がいつも人といてにぎやかそうに見える中、
自分は一人の時間が多い、といって不安になるとか。
そんな余計なこと、しなくていいです。
ひとりぼっちを避けようとしてやることは、
余計に寂しさと虚しさを増幅させるだけです。
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◆「大勢の人との出会い」を求めると、大切な人に気づけなくなる
大勢の人と一緒にいることを求める行為は、
逆の立場で考えると、相手がいかに悲しい気持ちになるかがわかります。
「大勢の人とむやみに会っている人」と会うことは、
じぶんは相手にとって「その他大勢のうちの一人」になるからです。
もし「あなた以外にも他に会う人いっぱいいます」と言われたら悲しいです。
友だちに「わたし本当の友だちがいません」なんて言われたら、
じぶんはなんなんだろうと思います。
でも、それと同じことをやっている人がいます。
大勢と会うことのデメリットは、
「大切な人」を悲しませてしまうことです。
そして、相手の悲しみに気づけないことです。
さらに、大切な人と出会えなくなることです。
一人になったことがないから、
人のありがたみがわからないのです。
大切な人に出会っても、
ありがたみがわからずに相手をおろそかにしてしまいます。
そのうち、相手の心は離れていきます。
結果として、いつも「寂しい寂しい」ということになるのです。
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◆ひとりぼっちの時間の、尊さを知る
ひとりぼっちの時間の尊さを知る人は、
むやみに人に会いません。
数少ない素晴らしい人との出会いに、深いありがたみを感じています。
「こんなじぶんと関わりを持ってくれてありがたい」
そう思えます。
出会いに、感謝の念が湧きます。
それから、数少ない素晴らしい人との時間は、
むやみに会う「その他大勢の人」との時間とは比較にならないほど、
充実感をもたらすことを知っています。
今までひとりでいた時間は、
この人との出会いの準備期間だったのだと思えます。
一人にならないと、
大切な人との出会いの意味が分からないのです。
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◆寂しさを埋めるのではなく、大切な人との出会いへの準備をする
心から「この人と一生、共にいく」と思える人と出会うことが、人生では必要です。
そのためには、一人になる時間を持つことです。
ひとりぼっちのありがたみを、感じることです。
ひとりぼっちの時間の先に、
心から「この人だ」と思える人との出会いが訪れます。
「ひとりぼっち」のときはただ、ひたむきに、
仕事をし、勉強し、本を読み、ものを考え、目の前の人を大切にし、
余計な心配をせずに、進んでいればいい。
「このままひとりぼっちかも」と思ったとしても、
むやみに人に会わなくていい。
へんにキャラを変えようとしたり、
好かれようとしたり、
大勢の人の所に行ったりしなくていい。
ひとりの時間を過ごすことで唯一、
最も大切なものとの出会いにたどり着けます。
ではまた今度。