批判するのは、作り手ではないから
なにかの作品に対して、
「あそこがダメ。ここがダメ」とダメなところばかり言う人は、
作り手側の立場がわかっていません。
映画、本、料理、文章、あらゆる作品に対して、「ダメなところ」を見ていると、
「作り手側の手間」を忘れてしまいます。
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◆あらゆる作品には、手間がかかっている
ブログを書いている方は、ブログを書くことの手間を知っています。
どんな文章も、表現者側の手間がかかっています。
たとえば本一冊を作るとき。
何十万字の言葉を書き、それを校正し、編集者と何度も打ち合わせて、ようやくできる原稿。
それを印刷所で印刷し、製本されたものがようやく店舗に並べられる。
ほかにも映画やドラマ。
数ヶ月から長いものだと数年、制作に月日がかかっています。
すべての作品は、よっぽどの手間がかかっているのです。
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◆当事者でないと、批判や不満が生まれる
一方で、「作品に触れる側」からすれば、
作り手側の手間はあまり意識していません。
なにかの作品を作ったことがない人は、
作品に対して簡単に批判したりします。
簡単に「ここがダメだ」「こんなのつまらん」というのは、
作る手間を知らないからです。
作品を作ったことがある人は手間を知っているから、
簡単には批判できないのです。
言い換えるとたとえば、
親に反抗したり文句を言ったりしていた学生の頃。
親の苦労や手間を知らずに、
子供の視点から「親に対して気に入らないこと」「自分の思い通りでないこと」
をぶつけていた時の状態。
学生時代は、仕事をしたり、家事をしたり、子供を育てたりしたことがないから、
簡単に気に入らないことばかりを親にぶつけていたのです。
要は、当事者になったことがない。
だから、批判や不満が生まれるのです。
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◆一段高い視点に立てば、批判や不満は無くなる
どんな世界でも、
簡単に批判や不満が出る状態の時は、
「当事者ではない」ということです。
批判や不満が多い時は、
当事者側の視点を忘れていないか考えた方がいいです。
批判や不満しかでない状態でいる限り、
永遠に「当事者」になれないからです。
ではまた今度。