自分が自分であることを「それでもいい」と思ってくれる人は、最大の価値
自分という人間を「それでもいい」と思ってくれている人がいると実感できていれば、胸を張って生きていけます。
たとえそれが、ひとりであってもです。
そういう人がいたら、大切にすることです。
そういう関係性を持つことで、人生が明らかに違ってきます。
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◆周りを気にする状態では、幸せになれない
人から認められることを求める状態では、常に周りの目を気にして過ごさないといけません。
相手からなんて思われているか。
嫌われてはいないか。
間違ってはいないか。
自分はダメなのではないか。
...etc
常に、一喜一憂します。
不安定です。
これは、精神的に不自由です。
ビクビク、キョロキョロしながら過ごすのは、つらいものがあります。
人から認められることを求めるとき、人は、自分が自分である状態から遠ざかります。
そうなると、心から自分を生きている実感が湧きません。
どこか、常に心のすき間が生まれます。
落ち着きがなくなります。
心のすき間を埋めるための行動に、走ることになります。
それは、幸せとは言えません。
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◆幸せは「自分が自分である状態」にある
無理をせず、肩肘張らず、周りの目を気にした言動をせず、
フラットな心持ちで過ごせている時は安定しています。
気に入られようとするでもなく、
無理に話をするでもなく、
思ってもないことを思うではなく、
ありのままでいるときは、心が穏やかな状態です。
その状態の時、最も安定しています。
そんな、自分が自分である中で「それでもいい」と思ってくれる人がいたら、ラクです。
無理して周りに対して肩肘張って過ごしたりしなくなります。
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「無理しなくてもいいと思ってくれる人がいるんだ」という実感は、相当な自信になります。
「この自分でいいんだ」と思えること、また、そう思わせてくれる人がいることは、とてつもなく貴重なことです。
周りから好かれようしたり、人の目や評価を気にする前に、たったひとりの、「自分が自分でいられる人」を持つことです。
その人がいれば、余計なことにエネルギーを使う必要がないことに気付けます。
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◆誰に、認められたいかを、間違えないこと
不幸な状態とは、「どちらでもないその他の人」の目を気にすることです。
見る人を、間違えないことです。
もし「お前はバカだ。クズだ」とか言う人がいたとしても、気にしないことです。
気にするべきは、「自分が、自分でいることをいいと思ってくれる人」のことです。
自分がどんな状態であっても、変わらずに、微笑んでくれる人がいることを忘れないことです。
その人がいれば、常に変化する周りの反応がどうあったとしても、胸を張っていられます。
不変の関係性を持つことに、エネルギーを注ぐことです。
その他大勢にかけるエネルギーは、いりません。
その他大勢に、幸せはありません。
あるのは、悩みだけです。
ではまた今度。