表現する自由を、手放してはいけない
•なにかに批判されたり、否定されたりして、嫌になった
•失敗して、痛い目にあった。恥ずかしい思いをした
•認められず、見てもらえず、わかってもらえず、自分を信じられなくなった
•周りの人からの風当たりが強くて、つらくなってしまった
、、、等。
「なにものにもとらわれることなく、本来じぶんの言いたいことが言えること」
この自由は、必要です。
(悪意とか、負の感情を撒き散らす、というものではない限りにおいて)
それが、できなくなったら。
悲しいです。
「もっと言いたいことがあるけど、批判され、否定され、反対され、責められ、つらくなった。だからもう、言うのをやめる」
これは、人間の、最後の自由を失いかねない行為です。
どんなことがあっても、心の中の自由は、他人から押さえつけられることで手放すようなことがあってはならない。
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◆もし、本当は言いたいことを言えなくなったら、こんな悲しいことはない
思い、気持ち、感情、考え、気づき、喜び、、、それらは、自分で持っていていいものです。
心の中の実感や思いは、自分のものです。
そんな「心の中の自分のもの」を表現することで、誰かが「なに言ってるの」「間違ってる」といったとして。
「周りが間違いだ、ダメだと言ってきてるから、もういいや」「批判される。反対される。つらい」と思って、自分自身の表現をやめてしまったら。
「自由」を、手放してしまうことになりかねない。
自由は、簡単に手放してしまっていいものではないんです。
いや、手放してはいけない。
これ、繰り返し伝えたい。
自分の表現を、恐れたり、責めたり、否定したり、そんなことしてはいけないです。
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◆この先、人生を生きていく上で、言いたいことが言えないとしたら悲しいことこの上ない
人を傷つけたり、落ち込ませたり、悪意を投げかけたり、そういう勝手をする「自由」は、本当の「自由」ではない。
ただの、ストレス解消です。
いつの時代も、そんな行いをする人は、一定割合います。
そんなものに、自分の気持ちを揺らさないことです。
見る人が見たら、相手の心の中はわかります。
人間は、対象が善なるものか•悪なるものか、それがわからないなんてことはない。
にじみ出てくるものを、人は感じるのです。
人間の直感をバカにしてはいけない。
だから、良心や善意を自分自身が感じている限り、
自分の心の中の自由を、捨ててしまう理由はどこにもないのです。
自分の自由を簡単に、明け渡してはいけない。
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◆自分の心の中の「自由」を、手放してしまってはいけない。
「自分が自分てあること」
これを、拡大させていくところに、心から自分を肯定できる充実した世界があります。
自分が自分であることを縮小させていく方向には、自己嫌悪が待っています。
我慢、疑い、否定、自己防衛、偽り、攻撃心、、、それらにさいなまれます。
自分が自分でいられなくなると、周りの人に対しても、「自由でいるヤツは許さない」という方向に進んでしまう恐れがあるのです。
「自由でいること」が、あらゆる解決策です。
「その他大勢を気にすること」=「不自由」は、あらゆる悩みの原因です。
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◆自由を持ち続けることは、自分の命を大切にすること
自分が思ったことや感じたことを捨ててしまったら、他に誰がその思いや感動たちを、表現するんですか。
感動は、自分のものです。
感動は、自分そのものです。
どうか、自由を手放さないで欲しい。
自分の表現を、やめてしまわないで欲しい。
ではまた今度。
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