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「あなただけはわかってくれる」は、怖い

「あなただけは、わかってくれる」
 
ある人からこれを言われたとき、少し怖くなりました。
 
以前この言葉を言われたときの、苦い経験があるからです。
 
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◆「あなただけはわかってくれる」は、なぜ怖いのか
 
「あなたはわかってくれる」
 
 
これは、表面的には嬉しい言葉です。
 
 
 
でも、根本を考えると、怖い言葉です。
 
 
 
「あなただけはわかってくれると思っていたのに」と、なる可能性があるからです。
 
これは、相手はなんでも受け入れてくれると思い込んでいるのです。
 
「受け入れられないことは誰にでもある」
それなのに、その相手には「ない」と思ってしまうこと。
 
これは、怖い。
 
そのうち「なんでもわかってくれると思っていたのに。もう、信じられない」と、言われます。
 
極端に言えば、一ミリの否認も許さないという意識を持たれます。
 
それは、相手を完全に不自由にしています。
 
 
「なんでもわかってくれる」なんて、人間同士の関わりにおいて、無理に決まっています。
 
その、当たり前のことがわからないと、怖いです。
 
相手の自由を、認められなくなるのです。
 
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◆「相手の話を聞く」ことは、イコール「相手をわかっている」ではない
 
 
「話を聞いてくれる」ことが、「あなたはわかってくれる」ということだと思う人がいます。
 
それは、勘違いです。
 
「相手の話を聞く」ことは、「相手をわかっている。すべてを肯定している」という意味では必ずしもない。
 
「聞く」ことと、「わかっている」「受け入れている」は、ぼくの中でイコールではありません。
 
ただ、相手の話すままを「聞いている」のです。
 
たとえ、相手のことをわからなくても、とにかく聞く姿勢を持つ。
そうしているだけです。
 
相手の話の中には当然、心から受け入れているわけではないこともあるし、納得していないこともある。
 
でも、相手は「聞いてくれるから、相手はわかってくれている」と勘違いする。
 
その思い違いは、「この人は、わかってくれると思っていたのに!」という反応になります。
 
これが、切ないのです。
 
 
相手の話を「聞く」ことは、相手のことを「肯定」「受容」「賛成」しているとは限らないのです。
 
じぶんの信念、思い、主義、哲学、生き様、、、それらと違うことを前に、「聞く」ことはできても「相手をわかる」ことはできないものもある。
 
そこを、忘れて欲しくないのです。
 
 
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◆「なんでもわかってくれる」なんて、それは無理
 
 
 
近しい関係であるほど、これは起こりがちです。
 
「相手は、わかってくれなかった」
それは、当たり前に起こることです。
 
どんなに近しい関係であってもです。
 
親、兄弟、恋人、友人、同僚、あらゆる人間関係において起こります。
 
だから、「わかってくれなかった。ああ、もうおしまいだ」そうならないでほしい。
 
 
 
 
「わかりあえないことがある」ことを、踏まえることです。
 
「なんでもわかってくれる」は、言い換えると「相手への依存」です。
 
無言の「受容の強要」です。
 
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どんな人も、お互いに、固有の人間性というものがある。
 
唯一の、大切にすべき、じぶんという人間性がある。
 
そこに「なんでもわかってくれる」を、持ち込んではいけないのです。
 
 
ではまた今度。