叱られることは、可愛がってもらえていること
仕事において、
好きでもない人を、叱ることはありません。
叱ることは、
仕事のコツやポイントを教えることだからです。
好きでもない人に、コツやポイントを伝えたいとはなかなか思えません。
それから、叱るにはエネルギーが要ります。
好きでもない人には、
そんな手間をかけようなんて思いません。
適当に、褒めておきます。
要は、叱られることは、可愛がられているのです。
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◆叱られた時に、「怒られた」と思うか「言ってもらえた」と思うか
仕事で、相手を叱った時。
「怒られた」という反応をした人には、
叱りにくくなります。
または、「でも」「だって」と言い訳したり、自分を正当化し始めたり、逆ギレされたりすると、「もういいや」と思います。
「言っても無駄だな」「聞こうとしないな」「言っても逆ギレされるからな」と相手に対して思ったら、次から叱ることはなくなります。
適当に褒めたり、角が立たないようにおだてたりするようになります。
こうなると、取り返せません。
「叱られない。ラッキー」ではないのです。
実は、叱られるのは、貴重なことです。これは、叱る側になってからわかった大きな気づきでした。
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◆叱る時は、100%相手を選んでいる
「叱る」というエネルギーの要ることは、少なくとも嫌いな人には行使しません。
それから、叱った後にふてくされたり、かたくなになったり、即反発したり、ブスッとしたりと、言いにくい人には言えません。
「この人には言っても価値がある」
「相手が将来困らないよう、伝えておこう」
そう思える人にしか、言いません。
叱られることはやっぱり、可愛がってもらえているのです。
たけしさんが、たけし軍団の人に「バカやろう!」という時、それは究極の褒め言葉です。愛情すら感じます。
やっぱり、可愛いがられているから「バカやろう」なのです。
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人間は、
言っても意味のない人に言ったり、
嫌いな人にわざわざ出向いていったりするほど、器用ではありません。
そんな、普通の人間の心理は、
先輩であれ、上司であれ、先生であれ、友人であれ、
誰でも例外なく、持っています。
ということは「叱られること」は、光栄なことかもしれない。
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◆耳に痛いことを、相手は「言ってくださっている」
叱られた時は、
相手の言葉の奥にある、真意を感じ取ってみる。
もし相手が気分とか感情でわめいているとしたら、
その時は聞く側もわかります。
「この人は感情的になって騒いでいるだけだな」
そんな相手の話は聞かなくていい。
でも、「叱る」行為は通常、言う側に真意があります。
その真意は、相手の心の声です。
「叱られた!」と、即座に反応する前に、
「あぁ、エネルギーのいることを相手は、してくれているんだな」と読み取る。
それが正しい叱られ方です。
「叱ること」はたぶん、形を変えた、
相手からの思いやりです。
ではまた今度。