厳しい言葉の中にある、優しさの意味に気づく
怒ってくれるのは、ありがたいことです。
なぜなら、一番冷たい対応は、怒らなくなることだからです。
言い換えると「諦め」です。
もっと言うと「放置」です。
きれいごとを無しにすると「もういいや」です。
こうなると、おしまいです。
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◆怒る理由は、相手を思っているから
怒るのは、相手に対して「こうした方がいい」と思ってのことです。
『相手がこのままでいったら、将来的に困ることになる。だから、ここで伝えておこう』
『こちらが怒りたくなるようなことだ。もしこれを同じく別の所でやったら、相手はもっと怒られかねない。ここで言ってあげよう』
そう思うから、怒っているのです。
なにも、ストレスのはけ口として、感情的になって怒っているわけではありません。
(中にはそういう理由で怒る人もいますが、ここではそういった「無差別な怒り」は議論から置いておきます)
もし、相手からそうした気を持たれなくなったら、けっこうヤバいです。
『もう自分はあなたに構わない。今後はすべて、自分で考えなさい」と思われたのです。
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◆怒られなくなったら、今後はない
付き合っている関係で、いざ本気で別れる人に対しては、もう何も言いません。
なぜなら、相手に対して、期待も、思いも、関心も、無くなったからです。
自分と関係ない存在だと思っているからです。
ケンカも、怒りも、切なさも、ゼロです。
「なにを言っても伝わらない」と心底思ったら、相手への怒りの感情はなくなります。
諦めてしまった人には、もう何も言いたくないのです。
「終わった」「もういいや」と思ったら、何も言いたくありません。
適当に、その場を凌ぎます。
なかば、優しくなります。
相手が「怒る」こともしなくなったら、
それはたぶん、別れの前兆です。
これは、恋愛以外でも、仕事場、友人間、親子、あらゆる関係に言えることです。
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◆言ってくれる相手の、根本の思いを感じ取る
自分に対して「怒る」行為は、
形を変えた「アドバイス」「メッセージ」です。
相手からの「期待」であり、「愛情」であり、「思いやり」です。
怒られているその瞬間は、なかなかそう思うことが難しいですが、
根本には必ず、何らかの善意を含んでいます。
それを、感じることです。
相手の怒りに対して、嫌な顔をしたり、ぶすっとしたり、反発したりしたい思いをこらえて、
グッと飲み込んでいくことです。
何日か経って、または何年か経って、
相手の怒りが自分へのメッセージであることに気づくのです。
ではまた今度。