嫌われるかもしれないけど、主導権を握れる
相手の言いなり、これはイヤです。
我慢、無理、屈折、それらが伴います。
人の目を気にすることは、相手の言いなりになることと同じです。
主導権が、相手です。
これでは、窮屈です。
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逆に、主導権が自分持ちだと清々しいです。
自分が思うこと、考えること、ありたいこと、それらを持つことができる。
これは、楽しい。
この楽しみを得る方法は、「周りの目を気にすること」をやめることです。
具体的には、「相手がどう言うか」を気にしないことです。
自分が思ったことを、そのまま持つことです。
勇気と、覚悟の問題です。
あとは、選ぶだけです。
あの人がいるから。
バカにされるだろうから。
こんな風に思われるだろうから。
ある「原因」があるから自分は変われないのか。
たぶん、そうではない。
「周りからどう言われるか、どう思われるか」これを気にしている。
「ヘンに思われたくない。嫌われたくない」これが、本当の原因です。
主導権は、「嫌われたくない思い」に応じて、相手に渡していってます。
「イヤなやつになれ」という極論ではなくて。
「嫌われたくない思いがあるから、窮屈になってるのでは」という話です。
ではまた今度。