watoku 日々の気づき

同じものをみて、1気づくか、10気づくか、100気づくか。

会社の肩書きで、自己表現するな

社会に出て気付いた中で大きかったこと。

それは「肩書き」と「人間の実力」は全く関係がないということだった。



様々な、「肩書きを持つ人たち」を観察してみた。


・ウエの人に気に入られる能力に長けていた
・長時間労働を是とする環境で長時間労働・休日返上する人だった
・ガンバっている感じを見せるのがウマい人だった
・声がでかくて体育会系でドカンとしていた
・単純に運が良かった


会社の中で「肩書きを持つ」ということは、
けっしてその人自身に圧倒的な能力があるから、ではない。

ぜんぜん、ない。

「会社というセカイ」にだけ通用する基準を満たすことができた人。
その人たちが、上に行く。


そういう世界だとわかった。

(もちろん素晴らしい人もいる。
肩書きのある人に、評価すべき点があることも認める。
また、能力があるからといって上に行けるわけではないことも当然わかる)


本も読んでいない人、
家庭が崩壊している人、
感情的になって暴れる人、
人間の気持ちを理解しない人、
お酒とギャンブルに明け暮れる人、

そういう人たちが、
会社という場所では肩書きを持つことができる。

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「自分は正社員じゃないから」
「肩書きを持っていないから」
「小さな会社にいるから」
「目立たず評価されずにいるから」
「会社をすぐに辞めてしまったから」

といって『自分はダメだ』とか思っている人がいたとしたら。

それは違う。


「会社にいること」「肩書きを持つこと」「目立つこと評価されること」
それしか自己表現の方法がない人たちの世界に合わせる必要はない。

本当の自己表現は、
『自分自身が本気で思っていること』
『自分自身が本気でやっていること』の中にある。


サッカー選手は、
CMに出ることが自己表現ではない。
キャーキャー言われることが自己表現ではない。

サッカーをすることが自己表現だ。

カッコつけることが自己表現になっている選手は、きっと試合に負ける。

肩書きや見た目を求めていく会社員は、
信念を貫く個人に勝てない。

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言いたいことは、
「会社に期待したり、周りと比べたり、肩書きや地位で自己表現しようとしたり」
そんなこと、しないでいいということ。

勉強もせず、仕事もせず、思いやりもなく、どう考えてもおかしな人が、
会社ではいい肩書きを持っているという世界。

そこに違和感を感じる感性を疑わなくていいということ。

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