あらゆる悩みは、「その他大勢を気にする」から生まれる
今年も終わりますね。
今年最後は、ぼくが最も好きな言葉の中の一つを述べて終わります。
「人間の最後の自由は、自分が自分であること」
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◆「自分であること」って。「自由」って。
たとえば、自分が心から「好きだ」と思った人がいたとして。
そのことを周りの100人に言った時、
もし100人とも「バカじゃないの?」「信じられない!」と言ってきたら。
自分の心の中から本当に湧いた思いを、持ち続けることができるか。
「自分であること・自由であること」とは、
ぼくの場合、100人が違うと言っても「それでも好きだ」と貫けることです。
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◆周りを気にするばかりだった、学生時代
小学校・中学校・高校、そして大学と、
ぼくは「自分であること」が全くできませんでした。
「嫌われたくないから合わせておく」
「周りから理解されそうにないから言わない」
本当は自分の思いがあるのに、意志に反した行動を取るばかりでした。
「周りの人からどう思われるか」が、基準だったんです。
だから、自分の心の中の本当の思いや実感を、
深く心の中にしまってました。
自由に思ったり、考えたり、そんなことしませんでした。
でも、いつも心は、もやもやしていました。
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◆自分であることの、価値
今までの人生で、本当に思ったことをスパッと言ったとき。
心の中にしまっていた思いをそのまま表に出したとき。
そのとき、どんな感じがしたか。
ぼくは、「こんなに清々しい思いがするのか」という感じでした。
学生時代の抑圧が強かった分、
「自分の思いをそのまま持ち、それに従って行動すること」の喜びはとてつもなかった。
「自分であることの価値」は、周りの人を気にするときには得られなかった、心の喜びにあります。
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◆あらゆる悩みは、「その他大勢」を気にするから
「その他大勢」を気にしてものごとを決めたとき、
もやもやした思いを抱えます。
心のもやもやは、自分を後悔させます。
「本当は違うのに・・」と思うことは、自己を嫌悪に向かわせる。
それ、やめたくないですか。
たぶん、やめたほうがいい。
「その他大勢」を気にしないことです。
「その他大勢を気にする」から、悩みが生まれている。
「周りの人を気にするなと言われてもムリ」って。
「強い人だけが、周りを気にしないでいられるんだ」って。
いや、違う。
じぶん自身が見てる「周りの人」を、変えればいいんだって。
もっともっと、広く見ればいいんだって。
「なんだ、自由じゃないか、みんな」ってことを知ればいい。
「自分でいることも、捨てたもんじゃない」ってわかるために、世界を知ればいい。
強くないといけないなんて、ない。
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◆「悔い」を、残さない
「その他大勢」を気にした状態で過ごす時間は、
心からわき上がってくるような、本質的な喜びは永遠に感じられないとぼくは思っています。
根本的な悩みの解決になる上に、本当の喜びに触れられる方法。
それが「自分であること」です。
たとえ万が一、自分が間違っていたとしても、
悔いは残らない。
「悔いが残らない」
これも、自分である大きな意味です。
周りを気にしなくてもいい、理由です。
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来年は、「悔い」を残さない時間を過ごそう。
抱負と心構えとして。
ではまた来年。