仕事や人生で、早く知っておけばよかったこと

同じものから、1気付くか、10気付くか、100気付けるか

じぶんが持つ「当たり前」と異質なものに出会ったときの反応が、これから問われる

ついさっき、夕方の近所の住宅街を歩いていて、
おそらく小学4〜5年生ほどの女の子が3人、
マンションの前で立ち話をしていました。

通りすがりで一瞬だったんですが、
こんな言葉を言っていました。

「なんかさ、連絡が最近ゼンゼンこんかったんよ。
でさ、きのう急にあいつ連絡きたと思ったら、別れよう、ってきたんよ」


(えっ、いまなんて言った?)

思わず、その小学生らしき3人を見てしまいました。

スマホ持ってる。
バッグとかアクセサリーをキラキラさせてる。
そして、その会話。

(すごいな!いま小学生ってこんな感じなのかな)

とっさに、じぶん自身の小学生時代と比べてしまったので、
驚き、いっぱいでした。

〜〜〜〜〜〜〜〜
◆じぶんの「当たり前」は通用しない

ぼくがその小学生3人を見て、
「すごいな!」と感じた理由は、
ぼくが小さい頃持っていた感覚と大きく違っていたからです。

じぶんが小学生の頃に「当たり前」だったものと
隔たりが大きかったからです。

3人の小学生を前にして、
ぼくの中にある「当たり前」はまるで通用しなかった。


ということは、あらゆることにおいて、
じぶんが「当たり前」だと思っている世界は、
実はぜんぜん通用しなかったりするかもしれない。

小学生はぼくに、知らせてくださった。

〜〜〜〜〜〜〜〜
◆じぶんが持つ「当たり前」と異質なものに出会ったときの反応が、これから問われる

「あり得ない!」
「どういうこと?」
「信じられない!」

そう感じることは、人生たくさんあります。
これからの未来は、もっと増えそうです。
スマホ持つなんて小学生の頃、どう転んでも想像すらできなかったように)

たとえば、ネットで他の方々の発信する情報に触れると、
自分の中にはない世界で溢れています。

じぶんと異質なものが、たくさんあります。


問題はここから、です。


異質なもの(情報・ひと)と出会ったときに、

・「あり得ん!」といって対象を切り捨て、じぶんの心から閉ざすか。
または、批判したり、攻撃したり、責め立てたりするか。

それとも、

・「そういうこともあるんだ」といって対象を受け入れる、または取り入れるか。
「受け入れる」までいかなくても、「それはそれ」としてみられるか。

二つの反応のうち、どちらを習慣にするかは
変化の激しい時代(陳腐ないい方ですが)において大きく差がつきそうです。

〜〜〜〜〜〜〜
◆「受け入れる側」に立つと、得する

心を閉ざす方向。
これは、損です。
情報が、入ってこないからです。

多様性のない思考・選択は、単純につまらない。
また、無用な攻撃性も出てきそう。

それが、損な理由です。


一方で、受け入れる・取り入れる、その世界は楽しい。
「自分の中にない世界」が広がっていくからです。

心・視野・行動・考え方、すべてが広まっていくからです。


言い換えると「自由」です。

それが、得な理由です。

〜〜〜〜〜〜〜
◆年齢・職業・地位・肩書・経歴 問わず、受け入れよう

「異質との出会い」の後は・・・

拒否ではない。
受容がお得。


ではまた今度。