仕事や人生で、早く知っておけばよかったこと

同じものから、1気付くか、10気付くか、100気付けるか

それぞれの立場で、見る

昨日書いた
「余命 3ヶ月の祖母が教えてくれた、3つのこと」

http://watoku55.hatenablog.com/entry/2014/01/17/233924

から、もう一つの話。
 
昨日は、余命間近の祖母を見たときの気付きを書きました。
 
今回は、「余命間近の祖母」に対する、
「看護師さん」と「ぼくの母親」の2人の態度について気付いたことを書きます。
 
「余命間近の人」に対する感じ方が、それぞれの人で全然違うんだな、という話です。
 
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◆看護師さん
 
看護師さんの姿を見るといつも思うのは、淡々としていることです。
 
数多くの入院患者を相手にしているためか、
一人ひとりの入院患者に対して態度を変えません。
 
患者さんそれぞれの容態がどうであれ、
看護師さんにとっては「1人の患者さん」なのでしょう。
 
少し、冷静すぎるとさえ感じることもあります。
 
ぼくからすると、祖母は今まで関わってきた人だから、祖母の姿に一喜一憂します。
看護師さんのように、淡々として冷静な気持ちには、なれないこともあります。
 
でも、ぼく個人の主観的な見かたが強いから、心が動揺しているのだと看護師さんを見てわかりました。
 
 
看護師さんの態度が良い悪いという話ではなく。
 
看護師さん目線は、客観的な立場として一人ひとりの人間(患者)を見るという、
冷静な目線を思い出させてくれるという気付きです。

一喜一憂は、あまりに主観的な目線に偏ると起きるのかもしれません。
 
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◆祖母を介護してきた祖母の長女(ぼくの母親)
 
母親からすると、祖母は実の母親です。
 
とても、関係のある人です。
 
親が死ぬ間際になった姿に立ち会うときの気持ちは、
きっと、心穏やかではいられません。
 
祖母の姿一つ一つに、母親は一喜一憂します。
 
なかなか、看護師さんのように冷静には見ることができません。
 
実際、祖母が入院した当初、ぼくの母親はいつも祖母の姿を見ては泣いていたと聞きました。(今は、母親の気持ちも落ち着いたようですが)
 
母親にとって、入院する祖母への感じ方は、冷静とは対局にあります。
 
自分の両親がもし、余命間近になった時を考えたら、
やはり同じ気持ちになるだろうと想像できます。

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◆主観的なアングルと客観的なアングルの、両方を持つことが大切

看護師さんは、患者さんとの関わりが日常です。
たくさんの「死」を、目の当たりにしています。
祖母に対しても、「1人の患者さん」です。

一方で母親は、祖母は「たった1人の母親」です。
ただの患者さん、ではありません。


ここに、温度差があります。

看護師さん目線も大切です。
母親目線も大切です。
 
人は、立場によって、感じ方がまったく違うのです。


どちらかの目線に偏りすぎると、
相手に対して思いやりを欠いたことになります。

「なんであの人は、あんな態度を取るの」と思ってしまいます。

ときに、周りの人に対して、冷たいとか悪いとか変だとか、そういう見方になってしまいます。

大切なのは、一人ひとり、立場が違うことを忘れないことです。

 
看護師さん目線だけだと、ときに冷たい。
母親目線だけだと、ときに精神的につらすぎる。
 
 
客観的な目線と、主観的な目線が、
常にあることを心得ておいた方がいい。
 
感じ方は一人ひとりあることだけは、忘れないようにしたい。

 
それは、精神的に揺らぎ過ぎないための、一つの心構えになります。


ではまた今度。