イヤなことがあったら、「いいネタ見つけた」
じぶんの経験は、他の誰かにとっての未経験です。
嬉しかった、感動した、楽しかった。
また、失敗した、イヤなことがあった、ムッとした。
それらはすべて、経験です。
別の言い方をすると「ネタ」です。
経験は、ネタにすればいいのです。
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◆嬉しかったことは、ネタになる
今日そば屋さんで、冷やし山かけとろろそばをオーダーしました。
そのお店の山かけとろろそばは通常、そばの上にとろろがのっていて、その上に黄身たまごがちょんとのっています。
ぼくはとろろを別皿で分けて食べるのが好きなので「 とろろを別皿でお願いします」と店員さんにオーダーしました。
それから5分ほど経って、店員さんがこちらに来てぼくに言いました。
「たまごは別皿にしますか。それともそばの上にのせていいですか」
『そこまで聞いてくれるんだ。スゴいな』と内心、驚きました。嬉しかった。
普通なら、「ま、たまごはどっちでもいいよね」と店員さんが思ってもいいところです。
確認のために聞きに来なくても、特に問題なく済むところです。
でも、そばを持ってくる直前に、店員さんはわざわざ気を利かせて、たまごの如何を聞いてくれたのです。
『これ、じぶんも使おう』と思いました。
これは、嬉しかった、という経験であり、ネタです。
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◆どんなイヤな経験も、やはり、ネタになる
一方で、イヤな経験もします。
電車で、ガーッと割り込まれたり、カバンを思い切りぶつけられたり。
ムッとすることは、日常おおいにあります。
日常のそうした経験は、「ネタ」という視点で見ていくと、少しだけ意味が変わります。
『ムカつく』だけで終わると、ネタを見逃してしまうところです。
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松本人志さんの「すべらない話」は、ネタの元は悲惨な話だらけです。
たとえば、麒麟の田村裕さんの話はすごいです。
•田村さんが中学生の頃、借金で家が差し押さえられ、父親から突然「解散」と言われて野宿生活が始まった。
•公園で野宿生活をしていたら、近所の子どもに石を投げつけられたり、変なアダ名をつけられたりして、子どもたちの噂になった。
•食べ物がなさ過ぎて、兄弟でわずかに手に入れた少量のご飯を、100回以上噛んで味わっていた。
これらは現実だと、とてつもなく悲惨なことです。
家が無いなんて、笑えないくらいのことです。
でも、田村さんはすべて、笑いのネタにして爆笑させていました。
これは、つらい経験もネタにするという、ある意味すごい技です。
要は、田村さんほどの経験でなかったとしても、すべてはネタにするという視点があれば、経験の意味が違ってくるのです。
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◆暗い顔をするより、ネタにする
日常で、いろんなことがある。
その中で、嬉しいこともあれば、つらいこともある。
そんな日常生活を、どのように見て、どのように捉えるかです。
「笑えないよ」と、暗い顔をすることもできます。
つらいことを見つけて、「なんてつらいんだろう」と暗くなろうと思えばなれます。
でも、そこだけで終わるのは、もったいない。
もう一歩、進んでほしいです。
おもしろい話にすることもできる。
学びにすることもできる。
じぶんが失敗したこと、とてつもなくつらかったことを、経験談として伝えることができる。
他の同じ境遇の人に、勇気と元気を与えることもできる。
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じぶんにとって、とてつもなく悲しい出来事を、無理に学びにしようとしたり、笑いにしたりする必要はありません。
つらい状況の最中に、「ネタにしよう」とは思わなくていい。
度合いによるところもある。
ただ、日常のちょっとしたことを「ネタにする」と少しだけ意識してみる。
その意識は、誰かにとっての助けになるかもしれません。
なぜならぼく自身、まだ見ぬ方の体験談やお話で、助かっているからです。
ではまた今度。