寂しさとは、相手から理解されないこと
「寂しさ」は、
自分の「気持ち」や「思い」を相手から理解されなかったときに感じます。
また、その理解されない時の寂しさは、
「大切な人」「親しい人」「近しい人」であるほど大きい。
このことについて結論から言います。
「寂しさは、共感・理解が解決する」
今日は、そんなお話です。
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◆「寂しさ」は、心理的・精神的なもの
「寂しい」と感じる時、それはどういう時か。
それは、「気持ち」とか「思い」が他人と相容れない時です。
物理的に側に人がたくさんいても、
その場所で「気持ち」とか「思い」の共感や理解が叶わなかった時には寂しさを感じます。
人が大勢いる飲み会やパーティーに参加した後に、
ひとりになって我に返ってみると寂しくなるのは、
まさにそういう理由です。
「気持ち」とか「思い」を、
人と共感できなかったり、理解されなかったりしたからです。
「自分が自分でいられなかった」からです。
どんなに周りに人が大勢いても、
自分の「気持ち」や「思い」から離れていったなら、
寂しい思いに包まれます。
寂しさは、物理的に解決できるものではない。
それは、精神的なものだからです。
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◆共感されたり、理解されたりすると、嬉しい
「共感される」「理解される」
これは嬉しいです。
なぜなら「自分は間違いではない」と思えるからです。
自己を肯定できるからです。
自分を肯定できると、嬉しいのです。
相手からの共感・理解があると、
「ひとりではない」「孤独ではない」と精神的に感じられます。
この「孤独ではない」という心持ちでいられることは、
「寂しさ」を解消するための重要なポイントだと思っています。
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◆寂しさは、「共感・理解」が解決する
あらゆる行動の根本には、
自己を肯定したい思いがあります。
このことは、どこかで調べたとか本に書いてあったとかいう知識ではなく、
経験からくる素直な実感です。
自己を肯定するための方法の一つは、
「共感者」「理解者」を持つことです。
「気持ちを理解されない」「思いを共感する人がいない」
という最も寂しさを感じる状態は、
「共感できた」「理解してくれた」と思える人がひとりいることで解決できます。
「共感」「理解」というものは、
ものすごく人を支える力を持っているものだと思っています。
その力を授かるために、「共感者」「理解者」を持つことより、
まず、自分がそんな存在になることです。
「共感者」「理解者」は互いに、
心を支え合える、重要で、温かい存在なのです。
ではまた今度。