バレンタインから学んだ、「嬉しい」チョコと「残念」なチョコ
父親が嬉しそうな顔をして、
チョコレートを持って眺めていました。
「ほら見ろ、この手作りチョコ。
姉の孫が自分にといって、手作りのチョコをくれたんぞ」
5歳ほどの子供が手書きで、
「いつもお菓子を持ってきてくれてありがとう。また来てね。00おじちゃんへ」と
クレヨンで書いてある手紙を持って、見せてきたのでした。
「これはほんと、嬉しいな」と、
父親はとてつもなく喜んでいました。
このことからわかった、
人間の「気持ち」について考えます。
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◆個人に向けて、くれるものは嬉しい
プレゼントで最も嬉しいのは、
「個人」にくれるものです。
「自分個人に向けたもの」は、嬉しいです。
特別感があります。
相手の「気持ち」を感じられます。
個人向けには、この「気持ち」が生まれるから嬉しいのです。
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◆「個人へ」の反対は「みんなへ」
一方で、残念に感じるものは、
「みんな」に向けたものです。
「個人へ」の反対は「みんなへ」です。
「みんな」にあげるものが残念に感じる理由は、
自分のことを見ていない感じがするからです。
「心ここにあらず」な感じがするのです。
「形としてみんなにやっておこう」「みんなにあげておかないと悪い」
というような気持ちではないかと。
もらった側からすると、
「なんだかなー」という感じがします。
今回、最も残念に感じたのは、
連名で書かれた紙が貼ってある、
袋入りの3粒ほどのチョコでした。
「カタチだけじゃん」
「一人ひとりの気持ちなんて、ひとつもないな・・」
そう思わせるものでした。
(「頂けるだけでありがたい」という根底の気持ちは忘れずに、書かせて頂きますね)
「相手は好きな人でないから」「気持ちを込めると相手が勘違いするから」
というような理由が在るとしても。
ものをあげる行為は、個人から個人に向けてやったほうが
いい気持ちを与えると思うんです。
「みんなから」なんて、それは形式です。
相手の人間とか人格をあまり見ていません。
そんなものに対して、
お返しをするのもヘンな感じです。
「気持ち」がないものに対して、
本来「お返し」というものはできないからです。
「みんなから」は、やめたほうがいい。
残念な感じを味わうから。
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◆プレゼントは本来、楽しいもの
「贈る」という行為は本来、
とてもワクワクするものです。
「相手にこのプレゼントをしたらどういう顔するだろうな」
「あの人に、普段伝えられない気持ちを伝えよう」
相手を心に浮かべてなにかをしたり考えたりする行為は、
それ自体、喜びそのものです。
仕事も人間関係も、
要は「相手を喜ばせること」です。
それなのに、
「贈る」という行為を「形式」としてしまうのは、
もったいないです。
「気持ちがない」「めんどくさい」
なら、それは贈らないことです。
もらう側の気持ちも考えることです。
「贈る側」は常に自分の中で、
その贈るものに込めた気持ちや魂胆は理解しているはずです。
「贈る」ことは、作業にしないでほしい。
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◆プレゼント次第で人は、相手を味方にすることもできる
今回、父親が5歳の子供に対していったことが印象的でした。
「こういうもの(5歳の子からの手書きメッセージ入り手作りチョコ)は一番嬉しいな。
普段、あの子にお菓子をやったり小遣いをやったり声をかけたりしていたけど、
それをあの子は受け取ってくれたんだな。
あの子にはこれからもよくしてあげよう。」
完全に、父親はその子の味方になっていました。
人を味方にしていくことは、
人生を幸せにします。
成功への近道でもあります。
「いかにして味方を作っていくか」は、
生きていく上で重要な意味を持ってきます。
その重要なことは、
「プレゼント」によって変えることもできると思うのです。
要は「気持ち」を人に与えることです。
「人生はプレゼントで変わる」という本が、
あってもいいくらいです。
ではまた今度。