忘れられない、おじいちゃんの表情
今朝、駅に向かって歩いている途中、
横断歩道の向こう側から、杖をついて渡るご年配のおじいちゃんがいました。
その横断歩道は距離が長く、
渡り切るまでに時間を要する所でした。
杖をついて歩く男性のスピードは、
普通に歩く人より3倍くらい時間がかかっていました。
歩道の青信号が点滅する頃、
渡切るまでまだ残り4分の1ほどある所にいました。
(これ、赤になっても渡り切れない。大丈夫かな)
案の定、赤になっても渡りきれず。
信号を待っていた車の運転手は、
目の前の杖をつく男性が渡り切るまで、
青になっても10秒くらい待っているのでした。
ご年配の男性の表情は申し訳なさそうにしていて。
懸命に、なんとか早く信号を渡り切ろうとしている思いが
表情から、ひしひしと感じられました。
青を待っていた運転手は優しい人で、おじいちゃんを前に、渡り切るまで穏やかに待っていました。
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◆もし自分自身が、杖をついて歩くようになったとしたら
この出来事から、身体が不自由になったときの気持ちを想像してみます。
赤信号になっても渡り切れず、急いで進もうとした。
でも、早く歩けない。
歩きが遅くて、迷惑をかけているという自覚がある。
そんな日常だったら。
どこかでいつも「負い目」を感じてしまうと思えます。
そして、精神的に負い目を抱えて過ごす日常生活は、どんなものだろう。
きっと、大変です。
物理的に、自分自身の歩くスピードが遅いことの負担よりも、
「歩きが遅いことによって周りに影響が及ぶ」と感じるときの精神的負担感が、
大きいのではないかと思う。
日常で、「周りの人が不自由なくできること」が自分にはできないって。
「周りの人に申し訳ないな」という思いを抱かずにはいられない気がする。
杖をつきながら、なんとか急いで渡り切ろうとするおじいちゃんの表情を見て、
そう思いました。
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◆相手の「精神的な負い目」を想像する
相手が負い目に感じていることを、想像する。
「あの人は、周りに迷惑をかけていると思ってるんじゃないかな」と思いやる。
特別なことをしなくてもよくて、
相手が持つ「負い目」を想像するだけでいいと
「自分元気だし」
「歩けないなんて、その時にならないとわかんないし」
そんな思いは、少し寂しい。
これから、ご高齢者がもっと増えるから。
申し訳なさそうな表情をして、
懸命に横断歩道を渡る男性に「早く歩け」なんて、言えません。
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◆「できる人」「できない人」が共存している
世間は「できる人」「できない人」が共存しています。
「できない人」は、悪意があって「できない・やらない」のではない。
本当に「できない」人がいる。
その事実を知っておくだけで、少し考え方が変わるんじゃないでしょうか。
いつか自分も、「できない人」になります。
その時に、「できる人」からどんな風に思われたいかです。
人生のあらゆることは、すべて巡り巡っているとしたら。
「できる人側の発想」だけでは、どこかで行き詰まると思うんです。
ではまた今度。