子供には、生の体験をさせる
先日、奈良へ観光に行きました。
観光で、教科書に載っていた文化財を、目の前で観てきました。
今回、そんな奈良を観光して感じたのは「実物に触れることの大切さ」です。
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◆教科書の写真と本物では、感動が全く違う
中高生時代、歴史の教科書や資料集を見ながら、歴史の授業を聞いていました。
はっきり言って、授業が面白いとはいえませんでした。
過去の事実を淡々と述べて、時折資料集の写真を見るという授業。
これは退屈でした。
味気なくて、心を揺さぶるものがなかったからです。
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今回奈良観光で、中高生の歴史資料集に載っていたものを、実物で観ました。
資料集の写真では数センチ角のカラー写真だけだったので、文化財は小さなものかと思っていました。
でも、実物は大きかった。
奈良の大仏に至っては、高さ15メートル級です。
巨人です。
資料集で見ていた大仏とは、かけ離れたイメージでした。
奈良観光は、感動し通しでした。
これらは、生を体験しないとわかり得ないものです。
学生の時に欠けていたものは、ここです。
生体験からくる「感動」というものが無かった。
だから、授業がつまらなかったのです。
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◆感動は、人を動かす
今回のように、生の体験を中高生時代にしていれば、勉強の姿勢は変わっていたはずです。
本物に触れる体験によって、興味の度合いはきっと変わっていた。
もっと早い段階で経験しておけばよかった。惜しいな、と思いました。
「勉強しなさい」という言葉より、
「生の体験をさせる」ほうが圧倒的に効きます。
勉強は、自分の意思でするものです。
感動した後は、人間は勝手に動いていくものです。
「勉強」は、覚えるものではなく、無理矢理するものでもない。
体験して感動した後に、頭と心と体が勝手に動いてしまうものです。
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勉強には、感動が必要です。
感動の無い所に、勉強などできないのです。
「感動」は、若い時期であるほど重要です。
社会人になってから思うのは、子供時代に経験した時の感動は、社会人のそれとは比べものにならないということです。
小学生の頃楽しめていたことが、大人になってから楽しめなくなる。
これは、避けられません。
できるだけ早いうちに、生の体験をしたほうがいい。
これは、素直な実感です。
ではまた今度。