「自己肯定感」ほど、大切なものはない
自分を不幸にする思いや考え方を持つことは、つらいだけだからやめた方がいいです。
それから、自分を「ダメなやつだ」「バカだ」「もっと頑張れ」と言って来る人の言葉によって自分を責めること、これもつらいからやめた方がいい。
「自分を責める」という方向性は、自分のどんなものであっても、やってはいけない。
暗くなる、絶望感を味わう、自分が嫌いになる、自信がなくなる、肯定できなくなる、、、こうした方向性は自分をつらくするだけです。
そんなの、正しいわけがありません。
極端な自己肯定からくる自信過剰もよくないけれど、自分を責め過ぎる方向は間違いなく、よくない。
自分を過小に、卑屈に見ている人を見たら「もったいない」といつも感じます。
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◆自分を否定したら、言いたいことが言えなくなる。
「自分はダメなひと」「なにもできない
」という思いを持っていたら、「こんな自分だから言いたいことなんて言う資格ないよね」と謙遜してしまいます。
自分という人間を「重要である」と感じることができなかったら、「言いたいこと、思い、考え、実感、希望」などを、持てなくなります。
全ての事柄において、自分の存在意義がなくなる。
自己肯定の無い所に、「自分」という存在意義は感じられません。
この状態は、つらいです。
必死で、自分の存在意義を求めて、あらゆる行動に走ります。
好きでもない人に会ったり、
行きたくもないお誘いの飲み会に行ったり、
心では憎んでいるのに相手を褒めそやしたり、
心のつながりのないトモダチやナカマの数を増やしたり、
ブランドものや高級品で着飾ったり、、、
こうして必死で、自分の存在意義を感じようとして行動するようになります。
歪んだ「自己肯定感」を追い求めても、行く末はおそらく「無力感」とか「虚無感」です。
自分を心の奥底で「重要である」と感じていない時に、どんな行動を取ったとしても解決にはなりません。
むしろ、もっともっと、自分を嫌いになります。
「本来の自分と離れていく」実感が、自分を嫌いにします。
この状態は、とても、つらいです。
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◆自分を否定する原因と向き合う。そしてそこから、離れる。
自分を否定する原因はなにか、冷静に見つめることです。
これまで親や先生から言われてきた言葉。
「ああしろこうしろ」と、否定し続けられたこと。
周りの悪い情報。
世の中の常識や意見。
人を責めることが好きな人からの言葉。
自分を否定するような言葉、態度、体験はなかったか。
もしそれがあったなら、そこまで戻っていって、その原因をじっくり見つめることです。
もしかしたら、たった一言にずっと傷ついてきたかもしれない。
たった1人から言われた言葉だったかもしれない。
最も身近な親、友人、上司、先生の態度だったのかもしれない。
「自己否定」には、原因がある。
その自己否定をそのまま放っておくから、いつまでもなんとなく、自分を肯定できず、否定してしまうのです。
結果として、無力感を感じる行動を繰り返し、ついには破綻します。
根本原因を、よく見つめることです。
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◆自分を、なにがあっても、肯定する
この際、これまでにやってきたことは置いておきます。
全ての自己否定の原因は、これまでにやってきたことや経験したことから作られた「捉え方」とか「思い」です。
今まで否定してきた自分を、いつまでも、自分だと思わなくていい。
もったいな過ぎます。
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5歳くらいの子供が、小さくなって余裕のない困った顔をしてうつむいて、ピリピリした母親と電車に乗っていました。
その母親に言いたかったのは「最も身近な存在である子どもに何やってんの」です。
その子に言いたかったのは「母親は否定ばかりしてるようだけど、君はそんな価値の無い人間じゃないって」です。
人の「自己重要感」を、上の立場である人間が潰してしまってどうするの。
子どもが、最初からなんでもできるわけないじゃないですか。
できない人間に「バカだ」「しっかりしなさい」という態度で接するなんて、浅はか過ぎます。
「自分は素晴らしい所がある」
「捨てたものではないね」
「できることあるじゃない」
という思いを持ちながら過ごす。
これ以上の充実感は、ありません。
「自分は重要である」という思いを持つことほど、自分を安定させるものはありません。
その点を知ったうえで、上の立場である人は、相手に接して欲しいです。
ではまた今度。