仕事や人生で、早く知っておけばよかったこと

同じものから、1気付くか、10気付くか、100気付けるか

もうそろそろ、新時代の価値観で行動したほうがいい

 


『新しい価値観』の反対は『古い価値観』だ。

古い価値観とは、『いい学校・いい会社・いい成績』などを追いかけることだ。

また、『高いものを持っている』とか『他の人よりも色んな所に行った』とか『トモダチや人脈の多さ自慢』とか、誰かよりも上である感を追いかけること。

完全に古くなった。少なくとも、令和の時代には古すぎる価値観だ。

有名企業にいるとか、学歴があるとか、長々と肩書を連ねて自己紹介を言ってくるとか、そういう大人は『だから、なに?』と思われていることに気づいてない。

まだ『権威・肩書・地位・学歴・人脈・年収』などを追いかけてるとしたら、その価値観は昭和時代のままだ。

たとえば、『私は客室乗務員(キャビンアテンダント)です』といって人気があったのは、50年前あたりのことである。

今も、『客室乗務員です』といって鼻高々な人がいるとしたら、その人は50年前の発想だ。

コロナ時代に、最も痛い目にあった企業の一つは航空業界だ。その渦中にある業界の一つの仕事の役割である『客室乗務員です』という肩書は、いまや関連企業に出向させられている。仕事がないからだ。

どれだけ、むかし肩書きとして華やいでいたものも、コロナをはじめとする時代の変化を前に、『全く意味をなさないもの』であることが判明している。いまだに客室乗務員が人気だとしたら、それは一部のおじさま達にウケるという点で、だけかもしれない。

例として客室乗務員を挙げたが、他の肩書・地位も同じだ。

いいたいことは客室乗務員や航空業界がダメだ、ということでは全くない。

今まで人々が追いかけていた価値観を追いかけても、全く意味をなさないことがほとんどだ、ということだ。

具体的にいうと、時代の変化に気づいてない人は、『食べていけない』という現実に向き合っている。また、若い世代から『ダサいと思われる』『古いと思われる』という状況に陥っている。

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●自分の価値は、誰かが決めるものではない。どこかから得るものではない。

『年収1,000万円です』という状態は、あなたそのものではない。ただ、収入がその金額であるだけだ。

旧帝大学出身です』といっても、それはあなた自身の人格や人間性を表すわけではない。

高級外車を乗り回したり、高い服を着たり、パーティやお食事会で豪華に過ごしたり、そういう消費マウンティングをしても、いまは『ダサいな』『というか、古いよね』と思われて、逆に敬遠されるような時代だ。

今までは、社会に出て人が評価するのは『目に見えるもの・社会的地位や肩書・みんなよりも優れているとわかるものを手に入れること』であった。

だから、コロナ前の時代は、大企業にいれば安定していたかもしれない。いい成績や学問の成績が、自分を守っていたかもしれない。

いまは、全く違う。コロナ以降の時代は、特に違う。変化は、もう起きてしまって、不可逆だ。

でも、気づいている人は、全体の1割以下だ。9割は、いまだに、本質的な努力ではない方向に進んでいる。

リモートワーク時代になったら、これまで大企業で肩書だけあって、仕事をせずにデスクに座って居さえすればよかったオジサンは『ほんとうに、何も価値を生んでないよね』という現実がバレる状況になった。

昭和的時代は、その人に生産性がなくても、これまで一度手に入れたら安泰になる社会的地位や立場があった。

いまは、無理だろう。企業に、そんな余裕がないからだ。そもそも、潰れてしまうから、企業は本気でリストラする以外に生き残れない。

社会的な地位や肩書を持っていれば生きていける世の中ではない。

付加価値がなくては、新時代で生き残れない。

または、社会的な地位や肩書を自慢してくる人は、『圧倒的に古い』と思われておしまいだ。魅力的な観点では、もはや終わった人間である。

人に見せつけるためだけの消費とか、学歴や会社とか、年収とか、とういう価値観は古いし食べていけないから、はやく卒業したほうがいい。

本質的なもの、人間にとって大切な価値とは、価値ある仕事と勉強をすることである。

本物の芸術・文化・文学・自然・知性に触れ続けることである。

本物の人と出会うことである。

意味のない地位や肩書を追ってる場合ではない。

 

 

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