仕事や人生で、早く知っておけばよかったこと

同じものから、1気付くか、10気付くか、100気付けるか

コミュニケーションが増えると、離職率が低下する

職場において、
コミュニケーションの量がいかに大事かを感じます。
 
おおよそ、離職する人の傾向として、
コミュニケーションがうまくいかなくなったことが原因であるようです。
 
言い換えると、
コミュニケーションが無いためにその場にいることができなくなるのです。
 
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◆人と会話が無いことはつらい
 
仕事をする中で、
人と何気ない会話をやり取りすることは大事です。
 
もし、会社にいて周りの人と会話が無かったら、
結構つらいです。
 
会話が無いと、
その場にいることが肯定できないからです。
 
言い換えると、
所属感がないとつらいのです。
 
その場にいても、
誰とも関わり合えていない感じ。
 
おそらくここに、人間のつらさを感じます。
 
会話が無いことは、
結構しんどいのです。
 
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◆なんでもいいから話しかけることの大切さ
 
逆に言うと、
なんでも良いから会話があると明るくなれます。
 
『周りの人と、この場にいる人と、コミュニケーションが取れている』
 
これは、その場にいる意義となります。
 
人との関わり合いがあることは、
所属感を満たすという人間の重要なところを満たします。
 
要は、なんでもいいから話しかけることが重要なのです。
 
自他ともに、話題の中身に関係なく、
とにかく会話することで、お互いが明るくなります。
 
これが、会社やサークルに置ける組織ではとっても大事です。
 
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◆中身はどうでも良い。話をしよう
 
いい話なんて必要ありません。
 
ためになる話、気の聞いた話、そんなものいりません。
 
ただ、なんでもいいから、話す。
 
言葉を交わす。
 
コミュニケートする。
 
それだけで、
チームは活性化します。
 
その場から離れたくなくなります。
 
コミュニケーションをバカにしてはいけないのです。
 
 
ではまた今度。 

他人の目を気にしても、相手は関心なんて持っていない

いままで会社に数年いた中で、
様々な人が離職していきました。
 
その中で感じた一つのこと。
 
それは、離職する人に対して、
残る人は淡白だな(無関心だな)ということです。
 
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◆辞める人に対して、周りはそんなに関心を持っていない
 
会社を辞めることは、
当の本人にとっては結構大きな決断です。
 
いろんなことを考えた結果、
離職という道になった人がほとんどです。
 
一方で、
そのまま残っている人(送り出す側)は淡白です。
 
そんなに、
気にしていません。
 
離職する直前は少しだけ気にかけてはいます。
でも、翌日にはほぼ普通の日常です。
 
離れた人に対して、
そんなになにも思っていません。
 
いままで会社にいて思ったのは、
この温度差が常にあったことです。
 
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◆人は、そんなに他人に関心を持っていない
 
「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」だという言葉があります。
 
言い換えると、
好きとか嫌いとかいう感情を持つ以前に、
関心すら持っていないのです。
 
これが、会社とか組織の現実です。
 
いつも、組織の中で、
その人と一緒にいる時間は長い。
 
でも実は、関心は持っていない。
 
一緒にいる時間が長くても、
つながっていなければ「その場だけ」です。
 
だから、自分がどのみちに行こうとも、
気にしなくて良いのです。
 
 
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◆人間に期待しすぎない方がいい
 
いつも一緒にいる、
長い時間を過ごしている、
仲が良い、
世話をしてくれている。
 
そういう人が会社やサークルにいたとして。
 
その人が、いざ困った時に何かをしてくれるのかどうか考えてみることです。
 
困った時に、
淡白に他人事のように振舞われるかもしれません。
 
 
自分を守ってくれていると思っているものが、
本当に助けてくれるものかどうか真剣に考えるてみることです。
 
 
言いたいことは2点。
 
・人に大きな期待をしてはいけない
・人は他人のことに関心を持っていない
 
 
他人に期待しても、相手は自分を守ってはくれません。
他人の目を気にしても、相手は何も思っていません。
 
自他ともに、です。
 
これは、冷たいことを言っているのではありません。
現実を言っているだけです。
 
 
もし自分が離れる側の立場だとしたら。
 
自分自身を肯定し、
自分がやるべきことに集中し、
自分やっていることを信じていればいいのです。
 
 
 
ではまた今度。 

疑うのは、真実を知らないから

「疑う」という行為のコストを考えた方がいいです。
 
「疑う」ことで得るセキュリティよりも、
「疑う」ことで失うチャンスの方が大きいからです。
 
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◆素直であれば道が開く
 
「ネットで10万円稼げる!」という言葉を見たとします。
 
その時に反射的に、
「そんなわけない」「むりむり」と思う人と、
「そうなの?どうやって」と思う人がいたとします。
 
前者は、そこで終わりです。
疑って、シャットアウトして、終わりです。
 
後者は、方法を知ろうとします。
本当かどうかを、調べます。
もっといけば、少しずつ実際にやってみます。
 
その過程で、勉強し、実践し、気付き、経験を得ていきます。
 
この、2者の差が、人生における差です。
 
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◆疑うか、受け入れてみるか
 
「むりむり」と反射的に疑うのはクセです。
 
思考グセです。
 
根本は、
「真実を知るのがめんどくさいから疑ってシャットアウトしておく」です。
 
要は、疑えばラクなのです。
 
ある種の自己防衛策です。
 
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素直な人は、まず、受け入れます。
 
まだ、本当かどうかわからない段階で、見極めるのは実際にはムリだからです。
 
受け入れてみて、いままで知らなかった世界を見て、なにかがわかります。
 
場合によっては、新しいチャンスをつかみます。
 
その機会が訪れるのは「素直」だからです。
 
 
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◆チャンスは多い方がいい
 
人生におけるチャンスが10回の人と100回の人では、
100回の人の方がお得です。
 
いいことが起きる機会が多いのはお得に決まっています。
 
 
「どうせウソに違いない」
「あの人は嫌な人に違いない」
「本なんて意味ないから読まない」
「自分があの人と付き合うなんてムリだ」
「会社を辞めて自分で稼ぐなんてムリだ」
 
なにかを見た時、知った時、やる時、
疑わないだけでどれだけチャンスが増えるか考えてみた方がいいと思う。
 
 
ではまた今度。 

礼儀正しすぎると、切ない

あるカフェでサンドイッチセット(お店ではAセットという)を頼みました。

 
先にドリンクをレジで受け取り、
サンドイッチはできてから、呼ばれて受け取るという流れです。
 
カウンターでサンドイッチができるのを待っていました。
 
待っていたのは自分ひとりです。
距離は2メートルほど近くで目の前です。
周りには誰もいません。
 
 
その距離で店員さんがサンドイッチを手に持って
「店内でAセットご注文のお客さま〜!」と大声で言いました。
 
 
自分は目の前にいましたが、
『この距離で、その声で、マニュアル通りの言葉使うの』と思いました。
 
自分ひとりで周りは誰もいませんでした。
頼んだ人が自分であることは明らかです。
 
それでも、マニュアル通り、礼儀正しくそのままの対応なのです。
 
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飲食店で切ないのは、
相手が非人間的だと感じたときです。
 
さっきのシチュエーションだったら、
「お客さま、こちらできましたよ」と小声で言って欲しいです。
 
普通の日常のやり取りでいいのです。
 
それなのに、「店内でAセットご注文の〜」は非人間的で切ないです。
 
もっと、普通でいいのです。
 
 
同じチェーン店でも、
従業員によって「人間的な人」と「非人間的な人」がいます。
 
どんなに全国チェーンでマニュアルが徹底されていたとしても、
やり取りは普通でいればいいのです。
 
スターバックスコーヒーの接客サービスなんて、
ほぼスタッフ個人にお任せです。
 
その方が温かいし嬉しいです。
 
 
礼儀正しいことは、
ときに冷たくなるのです。
 
 
ではまた今度。 

「わかってほしい」と思うのは、その相手が大切な人だから

自分にとって大切な人に対して、
ときに苛立ったり、モヤモヤしたりします。
 
『こんなに近しいのに、なんでわからないんだろう』
『これが伝わらないのか。なんでなんだろう』
 
近しいから、わかってくれると思っていた。
 
でも、そうはいかなかった。
 
この時、切ない。
 
そしてこの切ない気持ちは、
相手が近しい人であるほど大きいです。
 
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◆切ない気持ちは、大切な人にしか持てないもの
 
自分の思いや状況をわかってもらいたい気持ち。
それは、相手が「わかってほしい人」の時にしか持ち得ません。
 
なぜなら「どうでもいい人」には、
わかってほしいなんて思わないからです。
 
どうでもいい人に、
自分の思いなんて伝わらなくてもダメージはありません。
 
 
ところが、大切な人は違います。
 
大切な人には、
わかってほしい。
思いを汲み取ってほしい。
 
なぜなら、
大切な人との間には、
「理解」を求めるからです。
 
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『すごいね』
『大変だったね』
『頑張ったじゃん』
『そういうふうに思ってたんだね』
 
そう言われただけで、
なぜか嬉しく感じます。
 
それは、相手から理解されたからです。
 
大切な人には、
理解して欲しいのです。
 
 
逆に言うと、
大切な人から理解されないのは切ない。
 
大切な人だから、理解されたい思いを持てるのです。
 
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◆相手の様子を感じよう
 
 
もし、相手がいつもと様子が違ったら。
 
なにか、言いたげだけど我慢しているようだったら。
 
 
相手は、自分を大切な人だと思っているのです。
 
 
ではまた今度。 

素直の力

「ありえない」

「自分には無理だろう」

「今までできなかったし」
 
自分の可能性を制限しているのは、
たぶん自分です。
 
今までの人生の中で知らぬうちに
「思い込み」「ルール」「世間体」「文化」がとことん染み付いています。
 
だから、なにかを見たり、聞いたり、知ったりした時に
「でも」
「むりむり」
「ありえない」
「なんか言ってるよ」
と反応します。
 
新しいものに対して、
受け入れる前に、自分に染み付いた考えや常識が邪魔をする。
 
ほとんどの可能性が、そこでストップしてしまっています。
 
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◆素直は、得をする
 
 
可能性は、素直が作ります。
 
せっかく良いことを知ったのに、「そんなのあり得ない」といったら損です。
 
素直でないことのデメリットは、損することです。
 
ただ、損するのです。
 
良いことは世の中にたくさんあるけれど、それを「どうかね」「あり得ない」とかいったらもったいなさすぎます。
 
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◆なんでも、あり
 
 
狭い世界から抜け出す、
一つのキーワードは「素直」です。
 
要は、受け容れれば、世界は広がり続けるのです。
 
 
自分自身を、アタマの中の基準に当てはめていって
「どうかね」「ムリムリ」「あり得ない」と思うのは、本当にもったいない。
 
 
思い込みが染み付いていることが、損をする原因です。
 
 
 
ではまた今度。 

「責任感」がない人は、本来ひとりも存在しない

コンビニでコピーを取ろうとした時、
サイズを誤って印刷してしまうことがあります。
 
カラーだったらイタいです。
 
『50円損した!』となります。
 
たとえモノクロコピーでも、
ミスしたら『もったいない』と感じます。
 
 
一方で、会社で印刷ミスをした時。
 
あまり気にしていません。
 
たとえ何十枚ミスプリントしても、
損した感じはそこまでありません。
 
「もったいない」とは感じても、
そこまでイタいとは感じません。
 
ここに、責任感のヒントがあります。
 
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◆自分のことになると、誰でも責任感を持つ
 
 
なんで、コンビニでコピーをミスしたら『うわぁ、、もったいない』と感じるか。
 
それは、自分のお金だからです。
 
逆に言うと、自分のお金ではないものに対して、
責任感は薄らぐのです。
 
会社で、何千万円の赤字を出しても、
従業員である人はそんなに実感が湧きません。
 
そんな時に、
会社のお金に対して責任感を持つことは案外難しいのです。
 
 
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別の例で言うと、
たとえば無一文になって、職さえも失って、
明日食べていくことすら危うい状況になったとして。
 
にっちもさっちもいかなくなった時。
 
それこそ食べていくために、必死で仕事を探します。
 
生きていくために、
本気になってがんばります。
 
『サボっちゃおう』『めんどくさい』『まぁ適当に』『あいつに任せとこう』
なんてこと、思うヒマもありません。
 
会社でぬるま湯生活の中に浸って
『まぁ適当に』といって無責任になるような精神ではいられません。
 
そんな無責任になったら、
現実的に生きていけないからです。
 
 
どんなに無責任に過ごしてきた人も、
自分の身の危険をリアルに前にした時、
本気で目の前のことに向き合うようになる。
 
言い換えると、目の前のことに責任感を持つようになる。
 
 
要は、責任感は、すべての人が本来持っているのです。
 
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◆追い込まれたら、自然と責任感を発揮する。ぬるま湯の中では無責任になる。
 
ここで「責任感」の定義とか意味の話は置いておきます。
 
言いたいことは、
もし、無責任である意識があるならば、
いま、ぬるま湯の中にいるのではないかということです。
 
自分を追い込んで考えたり、
ものごとに対して責任をもって取り組んだりしなくてもいい。
 
そういう状況なのではないか、ということです。
 
 
これは善悪の話でもありません。
 
 
ただ、自分や周りの人が責任感に欠けているとしたら、
そこまで追い込まれていないのではないか。
 
 
自分の身に関わることに直面した時、
人は誰でも強くなれるのではないか。
 
 
人間も命あるいきものだから、
簡単には死なない。
 
責任感の本質は、
きっと当事者意識の度合い。
 
 
ではまた今度。 

自分のやるべきことは、ミッション

なににお金と時間を使うか、
どこに行き誰と会うか、
誰と関わり合うか、
なにを見て、なにを聞き、なにを読むか。
 
 
あらゆることにおいて、
選択しています。
 
どういう基準で選んでいるか。
 
その基準がないと「どうしよっかなー」「なんとなく嫌だけど、でも」
と迷い始めます。
 
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◆基準は、ミッション
 
迷う原因は「自分の大切なもの・こと」がわかってないからです。
 
もっと言うと、自分のミッションがわかっていないからです。
 
ミッションとは別の言い方をすると、
自分がやったことを通してひとりの人間が「元気になった」「嬉しい」「よかった」
となることを行うことです。
 
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◆数、量、規模、そこは置いておく
 
なにかを目指す時に、
先に「有名になろう」「目立とう」「たくさん得よう」「勝とう」と思うと迷います。
 
なぜ迷うかというと、それは「自分」の中から出ていないからです。
 
常に、「外側の基準」「誰かと比較した時の基準」で過ごしています。
 
それは、長く続くとつらいです。
 
まるで、受験生の勉強です。
 
「学校のテストの点数を取る」ことがミッションではないのです。
 
〜〜〜〜〜〜
◆どこにつながっているか
 
自分のやっていることが、どこにつながっているか。
 
時間とお金と人との関わりを、
どこに向けていくか。
 
その方向性を、「自分がやったことでひとりの人が元気になること」へと向けることです。
 
 〜〜〜

たとえば本を読んで「元気出た」「つらい状況から立ち直れた」となった。
 
それは、本を書いた著者がひとりの人を助けています。
 
著者の言葉や考え方が、
人を救っています。
 
著者にとって書くことは、
人を助ける行いとなっています。
 
著者は自身の時間を使って、
まだ見ぬどこかの誰かの人を動かしています。
 
これが、時間の意味です。

本を書いた著者の時間は、おのれの時間ではない。
読み手の元気を生むための時間です。
 
誰かを助けたかもしれない時間を、
「なんか行きたくないなぁ」と思える飲み会や遊びに、
使っている場合ではないのです。
 

その人の「時間とお金と人」の意味のレベルは、
その人自身の選択の中に明らかに出ます。
 
〜〜〜〜〜〜
◆自分の心に従った選択をしていい
 
もし「飲み会誘われたけどなぁ」「あまり行きたくない誘いどうしよう」とか
迷っているとしたら。

迷う必要はありません。

自分のミッションが、最優先です。

 
根本の所でまず、
自分のミッションを見つめることです。
 
「ミッションを授かっている」という意識を捨てないことです。
 
 
飲み会の参加可否で、
迷っている場合ではないのです。
 
 
 
ではまた今度。